たとえばメンがヘラっても

だらだら書きます、よろしくね。

なんぼ汚れたアタシでも

こんばんは、お久しぶりです。

今日のタイトルはクリープハイプの「イノチミジカシコイセヨオトメ」から。

 

もうそろそろ、高校時代からの大好きな友人の命日なので、思った事をつらつらと綴っていきます。

 

友人が亡くなったのを知った時に書いた記事(イノチミジカシコイセヨオレ - たとえばメンがヘラっても)に重複する部分も出てくるかと思いますが、その辺は目を瞑ってください。

 

彼女のことを思い悲しくなる頻度は、彼女のことを考えて涙を流す頻度は、だいぶ減りました。でも、心に空いてしまった穴はなかなか塞がらないものですね。時間でも解決できないものはあるんだなぁ、と思います。

 

お揃いで買ったイヤリングとか、作ってあげたティッシュケースとか、一緒に行ったカラオケとか、彼女との出来事を思い出すたびに、なんとも言えない気持ちになります。

 

私、高校時代のクラス会の幹事をすることが割とあるんですよ。クラス会、彼女が亡くなった後も続けているんだけど、私は幹事をやりながらも「クラスメイトが自死したのに、クラス会を開くなんて不謹慎ではないか?」と思ってしまうことが多々あって。でも、私的には、彼女のことを忘れたくないから開いている部分もあるんです。クラス会で彼女の話題になることは(悲し過ぎるので)あんまりないけれど…。でも、多分、彼女は3年7組の事が嫌ではなかったと思うから、もしかしたら参加してくれてるかな、なんて呑気に考えたりしているんです。だから、私はクラス会を開くんです。勿論みんなに会いたいのもあるし、彼女にも会いたいから。

 

 

 

 

 

 

死は救済!

 

 

今でも、そう思う時は沢山あります。

もう、いっそのこと逝っちゃうか〜〜!ってなる日も沢山あります。治療も抗がん剤も全部投げ出して、病院から逃げて電車に飛び込んで死んじゃおうかとか、病室のシーツで首を括って死んじゃおうかとか、沢山沢山考えました。

でも、私には勇気が無くて、完遂は出来ないままです。

 

彼女が、どんな気持ちで最期を手繰り寄せたのか、私には、少し分かるようで、全然わからないです。

 

めちゃくちゃに怖かったのか、安堵したのか、後悔したのか、どうだったんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

いずれにせよ、今は安らかに、ゆっくり休んでほしいなぁ。

 

 

 

 

 

 

今回も、支離滅裂な文章でごめんなさい、悲しいからこの辺で。では。

 

 

 

おわり