たとえばメンがヘラっても

だらだら書きます、よろしくね。

まさか 僕ら 愛し合った?

タイトルはindigo la Endの「ほころびごっこ」から。「すれ違わない確信が持てないと見返せない」。

 

 

 

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久しぶりに絵を描いた、相変わらず集中力がないので1時間もかけられなかった、雑な絵しか描けない。ずっとそう。ずっと。

 

 

 

「私ちゃんが他人のことを馬鹿にしないのは、多分、自己肯定感とか自己評価が低いからではなくて、無いからなんだろうなぁ。」

 

と2年間付き合ってくれた人に言われた事がある。

 

 

自己評価か、わからないなぁ。

 

 

人生でなにかを頑張った経験がないから、今まで頑張ってきたとは言えない、頭が割れそうになるくらい、それこそ鼻血が出るくらい 他人の気持ちを考えてはきたけれど「俺の気持ちなんて考えた事がないだろ」「私が今までどんな気持ちであなたの治療をしてきたと思っているのか」とか言われてきたから、他人の気持ちを考えていると思い込んでいただけで私はなにも考えていなかったのだろう。

 

 

 

「さっきの私への意地悪な態度は反省した?」「そんな事が気になるの?私は気にならないけど」「謝って済むものではないよ」「今も さも従順そうな顔をして相槌を打っているけれど、自分の気持ちなんて誰にも理解してもらえないとでも思っているんでしょう」「人生、ずーっと逃げているんだね」「LINEを消し続けて、人との繋がりを簡単に切れるのは病気だと思うよ」「他人にも自分にも興味がないよね」「私は診辛いから、あなたの担当を辞めたいよ」「本当に何にも響かないんだね」「治療できていると思っていたのは私だけだったんだね」「私はもう、精神科医としての自信がなくなった」「あなたはこの先、どう頑張っても良い人にはなれないよ」「自画自賛タイプなんだね」

 

移植を受けた病院で担当をしてくれていた 精神科医の女医さんから言われた言葉たちを思い出しては苦しくなってしまう。

 

 

 

「20歳を超えて 親の呪いがなんだとか、馬鹿らしいよ」と先生は私に言いましたが、私にとって、いろいろなことを忘れる事が とても下手な私にとっては、言葉は呪いなんです。

 

 

もちろん他人から言われた言葉を全部覚えているわけではない、忘れていることは沢山ある。忘れたことさえ忘れていることなんて、数えきれないくらいある。

 

でも良いことも悪いことも忘れる事が下手で、どちらかだけを忘れる事が上手かったら、もう少し苦しくなかったのかもしれない、わからない。

 

 

 

「女で傷跡があるなんて恥ずかしい事だ」と先生は、左腕には自傷の跡が、頸と左鎖骨あたりにはCVの跡が、両太腿裏には飛び降りたときにコンクリート塀で擦り下ろした時の跡が、腰には何度も何度も経験した骨髄穿刺の傷跡が残っている私に言ったけれど、不慮の事故で消えない傷跡がある女性や、他人から傷つけられて傷跡が残ってしまった女性に対しても そう思うのだろうか。

そもそも傷跡に女性も男性もあるのだろうか。女だから傷跡はダメなのか、男だったら良かったのか、考えてもわからない。

 

生きる為に残ることになった傷跡があることは恥ずかしいことなのか、私はわからない、わからない。でも彼女にとっては そうらしい。

 

 

私は自分はともかく、他人の傷跡が恥であるとは思えないし、思った事がない。

傷跡は恥。そういう考えもあるのか、と驚いた。そういう考えもあるのか…。

 

 

 

私の左腕と両太腿裏に関しては自傷なので誇らしげに語れるものではないのはわかるけれど、私は自傷をしてこなければ とてもじゃないけれど今日まで生きてこられなかった、骨髄穿刺をしなければ白血病だともわからなかった、中心静脈カテーテルを挿れなければ治療はできなかった、それらの生きる為に選択した傷跡までも、彼女は「恥」だと語った、彼女の中ではそうなのだろう。私の身体は恥だらけなのだろう。

 

 

 

言葉は呪いです。

私にとっては、言葉は 呪いです。

 

 

悲しい。

 

 

 

 

 

 

おわり

あなたの髪を切らなきゃ

タイトルは椎名林檎の「シドと白昼夢」から。

 

気持ちは言わなければ伝わらないけれど、言っても伝わらないことの方が多い。

 

ボールを投げ続ける。

 

いつか気付いてくれるかな、いつか落ちたボールを拾ってくれるかな、いつか、いつか、いつか、いつか。いつか という日はこないのにね。

 

 

痛い時は痛いと言っても良いことを知った。

 

 

「謝れば済むと思っているのか」

「泣けば許されるとでも思っているのか」

「全く信用してないからね」

 

 

呪いなんです、と伝えた。

 

自分は忘れることが下手で、ふとした時に思い出してしまうのです、言葉の呪いです。解き方が分からなくて苦しいです。呪いです。

 

そしたら精神科医は「二十歳超えて"親の呪い"がなんだとか、馬鹿みたいだよ」と笑った、彼女にも呪いをかけられてしまった、なにも言えなくなってしまった、ボールを投げても無駄だった、悲しかった。

 

私は他人の気持ちが本当にわからない、1ミリもわからない、だから私は伝えてきたつもりだった、好きな人には好きというし、別に好きではない人には好きとは言わなかった、出来るだけ伝えてきたつもりだった、わからない、どうすればいいのか分からない。悲しくなってしまう。

気持ちは伝えなければ分からないのに、伝えてもなにも伝わらない、悲しい。

 

私は言葉を話せていないんだろうな、とよく思う。多分、言葉を発せていないのだろう、喋ったつもりで何も言えていないのかもしれない、悲しい。

 

 

つかれたけど生きようね。

大丈夫だよ、大丈夫。

 

 

 

 

おわり

 

「少女漫画に出てくるような恋がしたい」って

君は踊った 僕はちょっと引いてしまった

タイトルはリコチェットマイガールの「目をみて話せたら」から。

結成当初からめちゃくちゃ好きで、稲荷さんとお友達の井沢さんと高3の夏になぜか日暮里のマックに行った。井沢さんには「銀杏厨か~!」と言われた。懐かしいな。

 

 

本日は外来でした。6時半ごろ家を出て、17時過ぎに帰ってきました。

 

 

 

 

移植審議の結果「再移植には不適」と診断されました。

 

 

 

 

私は1度目の移植が終わった時から「もしもまた再発したら、もう移植は受けたくない」と思っていたし、伝えていたから特に取り乱したりはしませんでした。

 

病室で首を括ったのがバレた時点で、もう再移植は無理だろうと思っていたし。

 

 

 

どんな原因があろうとも、最後に行動したのは自分自身だから。

私の以外の誰のせいでもないのはわかっています。

 

主治医や担当医、その他の移植審議にかかわってくださった人たちが、何度も何度も考えて出してくれた答えです。受け止めます。

 

自殺を図ってしまったので、再び移植審議にかけることを知らされたとき、主治医と約束をしました。「決して自分で自分の命を終わらせない」と、指切りをしました。

それから私は退院するときに、主治医に「移植審議の結果がどうであれ、私は何かを恨んだり憎んだりすることはありません。」と自分の口から伝えました。

 

 

 

自殺を図ったのは私だし、自殺を途中でやめたのも自分です。

 

 

高校の時の生物の先生が、SSHの集まりでの帰り道に「多分、今まで色んなことがあって『あの時に違う選択をしていたら』とか考えることもあると思う。でも、今までの選択の結果、今の自分がいるんだよ。だから今まで選んできた道は、何ひとつ間違いなんかではないんだよ。」と言ってくれました、その通りだと思います。

 

自分の人生を進められるのは結局自分だけだから、アドバイスをされたとしても自分でしか自分の人生は進めないから。

 

 

首を吊った結果、3連休で両親が交互に同じ部屋に泊まりました。

2人きりで話す時間なんて今までなかったから、今まで思っていたこと考えていたことを頑張って伝えました。

 

私は色んな思い出を忘れることがとても下手です。

多分、良いことだけ覚えていられたら親のことは大好きだったと思うし、悪いことだけ覚えていたら、親のことが大嫌いだったと思います。

 

殴られたな、蹴られたな、髪の毛を伸ばすことも禁止されていたな、携帯も買ってもらえなかったし、話も聞いてくれなかったな、怖かったな、毎晩泣いて泣いて、泣き疲れて眠りに落ちていたな、でも、毎日ご飯やお弁当をつくってくれたな、旅行にも連れて行ってくれたな、花の名前を教えてくれたな、運動会は毎年見に来てくれたな、誕生日ケーキもかってくれたな。

 

良いことも悪いことも、全部じゃないけれど覚えている。

だから気持ちがグチャグチャになって、苦しくなってしまう。悲しくなってしまう。

 

 

 

 

移植は受けられないけれど、もう白血病の根治は望めないけれど、幸運なことにベスポンサは遺伝子レベルで効いている。

移植はしないから、ベスポンサによる重篤な肝機能障害も現れる可能性は低い。

 

 

なにより、いきなり死んでしまうより、徐々に確実に死に向かうから、みんなといろいろな思い出が作れる。GVHDもだいぶ良くなったから、体もだいぶ楽になった。

よかった。

 

 

長くなったので、今日はこの辺で。

読んでくださった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

なかなかに運が悪いと思っていたけど、そんなこともないかもしれない。

 

 

 

 

私は全然不幸じゃないよ。

 

 

 

 

おわり

その前にこの世がなくなっちゃってたら

風になってでも あなたを待ってる

 

タイトルはaikoの「キラキラ」から。aikoの曲の中で1番好きかもしれない。すき。

 

 

2020/03/15の夜に首を吊った、というか締めあげた?吊りかけた???まぁ、とにかく自分の手で 命を終わらせようとした。

 

17日の火曜日に、移植審議があった。

結果は「再移植に耐えられる」で、移植のゴーサインだった。18日、担当医から話された。

 

 

その時 担当医に「ハプロ移植を考えています」と伝えられた。

 

おもわずメチャクチャ嫌そうな顔をしながら「それだけは嫌です」と言葉に出してしまった。

 

 

ハプロ移植、つまりHLA半合致移植。

 

 

 

 

肉親からの移植だ。

それだけは勘弁して欲しかった、男親からの移植が多い(女親は出産経験などにより難しいらしい)らしい。

 

 

 

お父さんは、来年で定年退職だ。最後の1年で、今までずーっと頑張って働いてきたのに、痛みにすごく弱いのに、これ以上迷惑はかけたくなかった、悲しかった。

 

 

 

昼食の時に担当の優しい看護師さんに、泣きながら想いを伝えてしまった。

 

「なにをやっても褒めてもらえなかった」「腕を切った翌日に半袖を着て目の前でご飯を食べていても気付かない」「世間体しか頭にない」「私の命より、お姉ちゃんたちの結婚の方が大事」「 殴らないで欲しかった」「両親のどちらかがドナーになるくらいなら、移植はしたくない」「もう、充分だから」

 

大部屋だったから部屋の空気はたぶん最悪だったと思う、申し訳ないなと思った。

看護師さんは黙って聞いていてくれた。

 

 

昼食後、精神科の女医さんがきた。

すごい悲しいこと、傷つく事を沢山言われた。悲しかったけど、私は泣かなかった。

今までの経験上「謝って済むと思うのか」と言う人間は「泣けば許されると思っているの?」と言うことが多いから。

 

 

 

そのあとハプロ移植について考えた。

親にドナーになってもらうなんて嫌だったけれど、よくよく考えたら「いや、私の遺伝子そもそも親からじゃん、混ざるもなにもないのでは?」と考えた。知能。

 

 

 

 

でもまぁ色々あって、移植審議はもう一度することになった。

 

27日、今日は外来。

移植審議は火曜だから、今日、結果が伝えられる。

 

 

私は主治医にこう話した「移植審議の結果がなにであろうと、私は何かを、誰かを憎むことはないです。」本心から伝えた。

 

 

全て私が招いたことだから。

 

私が手繰り寄せたのだから。

 

 

 

 

 

 

桜がほぼ満開で、とても綺麗だった。

 

 

 

 

 

おわり

バイバイ イエスタディ ごめんね

タイトルは、official髭男dismの「イエスタディ」から。髭男、とても良い。

私はもともとピアノの音と澄んだ声が好きなので、本当に良い。良!

 

少し目が覚めたので久しぶりに。

 

「気が付く側の人間」か「気が付かない側の人間」が居るとしたら、頑張って前者でいたかった。

泣いてる人がいたら声はかけなくてもティッシュを渡してあげたいし、酔い潰れた人には水を差しだしてあげたいし、誰かが物を落としたら拾って追いかけて届けてあげられるような、誰かの何かに気が付ける人間でありたかった。

 

 

この1週間、いろんなことがあった。

 

 

 

 

14日あたり、私にとっての最大の地雷である「自分が原因で大切な人が被害を被る」出来事が怒ってしまった。

怖くて悲しくて悔しくて、どうしたらいいのか分からなくて15日の、日曜の深夜に病室で首を吊った。

 

付箋に「人間に なりたかったな」とだけ書いて筆箱にいれた。

 

 

不器用だったので首を絞めるのが上手く出来ず、すぐに落ちることができなかった。でもまぁこのまま眠りに落ちたら確実に逝けるかな、という感じはした。眼圧みたいなの凄くて 目を開かなくなっていっていたので。

 

暇だったので考え事をしていた。そして、ふと「主治医も担当医も悲しくなってしまうかな」と思った。私は、主治医も担当医も、お世話になった看護師さんも大好きだ。その人たちは、たぶん嫌でも死んだ私の顔を見るだろう。

 

どうせなら、「笑顔の私を覚えていて欲しいな」と思った。「尊敬するお医者さんたちに、こんな形で私の記憶を残して欲しくもないな」とも考えた。

 

首に巻き付けたタオルとコードを、メチャクチャがんばって解いた。そして、眠りに落ちた。

 

 

月曜日の朝が来た。生きていた。

目の充血がとんでもなかったけれど、生きていた。

 

担当医の先生が朝 回診に来て目の充血に気がついてくれた。「え!充血してますか?!あとで鏡でよく見ます」みたいな返しをした後、桜の開花宣言の話になった。

「ここからも見えますよ」と先生は言って窓の外のいろんなところを指差しながら桜の位置を教えてくれた。

先生が去った後、メチャクチャに泣いてしまった。人間のように扱ってもらえた気がして、本当にメチャクチャ泣いてしまった。

 

17日火曜日、再移植審議の日。

なんだか急に自分の人生に対してメチャクチャにムカついてきて、感情を吐き出した。

 

私は全くしっかりしていない、本当に。

自分部屋は気を抜くと切り通しみたいになるし、料理を作る量は馬鹿だし、寝てていいなら14時間とかぶっ続けで寝られる。

 

でもずっと「しっかりしているね」「さすが私ちゃんだね」「私ちゃんだからできて当たり前だね」みたいに扱われてきた。

 

私は全くしっかりしていない。むしろダメな人間なのに。

 

もう朝起きて目を開けられたとかで褒めて欲しいくらいなのに。笑

 

 

 5年以上かけて「境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)(BPD)」と診断を受け、心理検査は4回もやって「広汎性発達障害(アスペルガー症候群)(ASD)」の診断も降りているくらいなので、なかなかに生きるのは下手な方だと思う。あとは適応障害と、鬱。

 

だから毎日 死にものぐるいで生きている、メチャクチャ頑張って、人間を、保っている。

絵が描けるわけではなくて、ベースとピアノが弾ける訳ではなくて、どちらも辞めることができずにずっと続けている。

絵を描くのが、はやいのはそれだけ私は描いている。勉強は出来るのではなくて、している

 

他人に優しくする方法が全く分からないから、優しくすることができない。

 

でも、考えることはできる。私は基本的に「自分がしてもらいたかったこと」をしている。

 

 

塾講の時も、どんなに些細なことでも褒めて欲しかったから沢山褒めた。嘘偽りではなく自分の目線で。

たとえば1点でも上がったら メチャクチャ褒めるし、点数が落ちていても、塾で扱ったときは出来なかった問題の類似の問題が、解けていたらメチャクチャ褒めるし、もうなんか「文字綺麗だね!」とかでも褒めていた。

「あんなに嫌がってたのにテストちゃんと受けきったの?!がんばったね!!」とかもはや成績に関係なくても褒めちぎっていた。だって、すごいことだから。

テストくらいバックれても後日受けることはできるし、適当に答えを書くこともできる。それでも、ちゃんと、問題用紙を見たりテストの手答えを聞いたりすると、苦手なものも含めて最後まで目を通した事とかがわかる。本当に凄いと思う。偉すぎる。だから私は受け持ちの生徒にはその子の良いところを沢山たくさん伝えた。

 

 

話の流れがおかしくなってきたから戻すけれど、私はだらしがなくてダメな人間だ。

でもだからといって、喘息(まぁこれは小児喘息だからもう今はほぼ平気)から始まり、精神疾患白血病の再再再発……と、あまりにも特濃すぎないかな?と考えた。

 

メチャクチャむかついた。笑

 

勝手に「しっかりしている」「優しそう」「明るい」みたいな幻想を抱いて寄ってきて「こんな人だと思わなかった」と切り捨てられる。

えー、理不尽では?!と、思った。

 

人生に文字通りキレ散らかした。

バチバチにキレた。

 

 

でもその結果、少しずつ世界が優しくなってきた気がする。

 

 

思いは伝えていこうと思った。

今 我慢して伝えないでいたら、たぶんこの先もずっと苦しいから。どうせなら、楽しい方がいいから。未来は明るい方がいいから。

 

 

 

 

笑顔の私を、覚えていてね。

 

 

 

 

 

おわり

 

駅のホームの端が好きで

タイトルはゲスの極み乙女。の「セルマ」から。エモエモ音頭ですね。とんでもねぇ曲ですね。

 

 

入院生活が暇なので考察します、考察厨なので。

 

 

まず歌詞のせます

 

………

 

セルマ

 

作詞曲:川谷絵音

 

 

今日も1人食卓で
滲む幸せ掴んで
並ぶ2つのスプーンに
涙を落とす
使い込んだテーブルは
傾いたまま変わっていないよ
聞こえる?


よく買い込んでいた紅茶
今じゃ2週間に1回に減ったんだよ
やけに静かになったくらいさ
それ以外は変わらないはずだけど

 

一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
酔わない方だったのにな
おかしいな
おかしいよな

 

一つ飛ばして
二つ飛ばして
三つ飛ばして
君はいなくなった
あと少し
もうあと少し
側で笑ってたかった

 

駅のホームの端が好きで
それ以外の場所は普通で
僕はそういう君が好きで
それ以外も好きだったけど

 

一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
酔わない方だったのにな
おかしいな
おかしいよな


一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
一緒に歌ったあの歌は全部口ずさめるのに

 

一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
酔わない方だったのにな
おかしいな
おかしいよな


一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
一緒に歌ったあの歌は全部口ずさめるのに

 

………

 

 

エモエモ音頭ですね。

 

 

全体的にヤバいんだけど個人的に1番ヤバいと思うのは「一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ」という箇所。

 

「缶ビールの味」なんですよ、思い出せないのが「缶ビールの味」。

 

一緒にお酒を飲んだことは覚えているし 一緒に歌った歌も全部口ずさめるのに「缶ビールの味」が思い出せないんですよ。

 

「缶ビール」を飲んだことは覚えてるんですよ。「味」だけ思い出せないんですよ。

 

多分なんですけど「缶ビール」の銘柄は覚えてると思うんですよ。わざわざ「缶ビール」と表記するくらいだし。

「酒」とかじゃないし、「ビール」でもなくて「缶ビール」ですからね。

 

銘柄わかってるから、飲めば「味」はわかるはずなんですよ。でも「味が思い出せない」んですよ。

 

「思い出せない」というか、思い出したくないんだろうな、と勝手に考えています。考察厨なので。

 

 

 

おわり。

 

出会える世界線選べたらよかった

タイトルは、official髭男dismの「pretender」から。髭男の人たち、育ちが良さそうな品のいい感じが好き。全員上手に餃子包めなさそうで可愛いですね。

 

さて、2020年2月28日金曜日、昨日は、外来でした。

 

採血して、精神科行って、呼吸機能検査して、骨髄穿刺をし、ベナンバックス吸入を終え、移植後半年のフォローアップ外来に行き、血液内科の診察でした。

 

 

 

 

再発していました。

 

 

 

 

再再再発です。

 

 

 

 

 

前回の採血がちょっと微妙な感じだったので、なんとなく覚悟はできていたけど、担当医が採決の結果を出して、白血球と血小板、LDHあたりに赤ペンで丸をつけたところで察してしまった。

 

 

白血球数は1万1000。

血小板も低くて、LDHは1800を超えていた。

 

 

 

担当医も私も「再発」という言葉は出さなかった。

 

 

私が「あ〜、これは、はぁ、、あ〜、そうですね」と言ったら担当医も「そう、ですね」と言った。

 

 

私「前回の採血も まあ、ちょっとそんな感じしましたもんね」

医「そうですね、ちょっと、ね」

私「あ〜、そっかぁ、これはもう、そうですよね」

医「そうですね、、そうです、ね」

 

 

「再発」とは言われなかったけど、確実に「それ」は、そうなんです。

 

 

 

初めて、診察室で泣いた。

 

 

 

初発の時、精神科で主治医に「採血結果がおかしい、白血病かもしれないから直ぐがんセンターに連絡を取るね」と言われた時も泣かなかったのに。

がんセンターで骨髄穿刺されて、結果を聞かされて「精神疾患ある人はウチでは診られないから、3,4ヶ月くらいだけど好きなことして死を待ってください」みたいなこと言われた時も泣かなかったのに。

抗がん剤治療で髪の毛抜けても泣かなかったのに。

再発した時も泣かなかったのに。

移植を断られた時も泣かなかったのに。

再再発の時も、移植の時も、家で倒れても、泣かなかったのに。

 

初めて泣いてしまった、なんか、よくわからないけれど、泣いてしまった。

 

 

あー。

 

 

担当医は、3月でいなくなってしまうからバレンタインにあげたクッキーのレシピ渡そう〜とか思っていたけれど、渡せなかった。クッキーのkの字も出なかったし。笑

 

 

 

 

抗がん剤やっても 新薬のベスポンサとビーリンサイトやっても、末梢血幹細胞移植をしても、再発かぁ。

フィラデルフィアは陰性なのになぁ。

はー、再発か。

 

 

でもまぁ今でよかったのかな。

恋人も職もないから、悲しむ人はそんなにいないと思うし、将来の約束をしてくれた人も居ないから、大丈夫だよ。

 

 

 

大丈夫だよ、大丈夫。

大丈夫。

 

 

 

 

おわり