たとえばメンがヘラっても

だらだら書きます、よろしくね。

君がいなくなった日も僕はいつも通りで

こんばんは。

今日のタイトルは、クリープハイプの「リグレット」です。

 

世間から隔離された無菌室で、同室のおばあさまに「センター試験って、全部同じ問題なの?」と聞かれて、「あぁ、そうか、もう、センター試験の時期か。」と思い出しました。

 

高校時代、苦しかったなぁ。

高校以外も、中学も大学も社会人も、ずっとずっと苦しかったですけどね。 

 

 

私の出身高校は、所謂「進学校」でした。「自称進学校」ではない、偏差値70超くらいの公立女子高でした、「進学校」でした。

 

中学生の頃、お姉ちゃんがその女子高に通っていたこともあり、自分もその高校に入るんだろうなとなんとなく思っていました。そして、受験に受かって、入学しました。

 

 

高1の時は中の中くらいの成績でした。クラスでも、学年でも半分よりは上。まぁ、そこそこ頑張っていたんだと思います。

 

高校2年の初夏、私は、過剰服薬で、救急車で搬送されました。自殺未遂です。

 

今思うと、多方面で無理をしていたんだろうな、と思います。

 

気に入らないことがあると殴り 蹴る母、言葉の暴力を振るう父、過保護で厳しすぎる両親、母親と義祖父母との確執、優秀な姉たち、部活では嫌われ、クラスに心を許せるような友だちも ほぼ居ませんでした。

 

それでも私は頑張って居たんだと思います。誰にも迷惑かけない様に。

 

誰かに迷惑かけても大丈夫なのに、まだ10代の、右も左も、良いことも悪い事も、何もわからぬ、健気な乙女だったのに。

 

 

無理が祟って、私は1人で精神科の門を叩きました。

 

 

そこで貰った薬を全部飲み、今はもう縁を切られてしまった大好きな大好きな友達に遺書の様なメールを送り、これでもう、大丈夫、大丈夫、さよならだと思いながら、眠りにつきました。

 

 

起きたら、腕に点滴の痕があり、自分のベッドの上でした。

 

あぁ、ダメだったんだ、と思いました。

死ぬこともできなかった、と。

 

 

 

でも、なにもダメじゃないんですよ。何も。

 

「生きていれば良いことあるよ」。なんていえないです。とてもじゃないけど言えないです。

でも、「生きていれば何かが違うかもしれないよ」とは言えます。私は まだ死んだことがないから、死後の世界は分かりません。でも、死んでしまったら終わりです、それだけはわかります。

 

昔の私に、泣きながら高校への坂道を歩いていた私に、電車内で号泣しながら登下校をしていた私に、腕を毎日毎日切っていた私に、「大丈夫だよ、今は大丈夫ではないかもしれないけれど、大丈夫だよ。」と言って抱き締めてあげたいです。

 

辛く苦しい日々でした。

 

 

 

 

私は今、無菌室に居ます。

 

急性リンパ性白血病が、再発しました。

 

昔の私に比べたら、全く違う方面で苦しいです。やっと出会えた大切な人、やっと分かった大切にしてくれる人がいるという、恵まれていることに、サヨナラしなくてはいけないかもしれない。悲しいです。

 

 

昔の私が今の私の姿を見たらなんて言うんでしょうね。

 

「やっぱりあの時、死んでおけばよかったね。」

 

これは多分言われると思います。私も何十回も思いました。何百回かもしれない。

 

 

「こんな風に苦しむなら、こんな風に周りの人たちを悲しませるなら、あの時、死んでおけば良かったね。そうだね。でも、生きてるよ。大丈夫だよ。」

 

もし未来の私が居たら、そう言って、今の私を抱き締めてくれるかなぁ。

 

 

 

 

 

おわり。