たとえばメンがヘラっても

だらだら書きます、よろしくね。

泣いてしまう あなたは優しいから

タイトルは鬼束ちひろの「私とワルツを」。

 

友人が自死をして、4年が経った。

彼女がこの世からいなくなってしまってから、1度だけ夢に出てきた。去年、2019年の9月。私が造血幹細胞移植を受けた後だった。

 

私は移植で2回は走馬灯のようなものを見た。緩やかなものと、とてもはやいもの。

ふと目を瞑ると、目が開けられなくなって、手足も動かせるのかわからなくなる。音だけは聞こえる、看護師さんや医師、親が懸命に話しかけてくれている音だけが聞こえる。そして、どんどん景色が変わる。幼かった頃から大学の頃まで一気に。最後の方で、実家の前で亡くなった祖母が掃き掃除をしていた。

 

「あら、なっちゃん。おかえり。」

 

と言われた。私は何故か実家の敷地内に入れなかった。おばあちゃんに「ちょっと用事があるから行ってくるね」と答えた。「そう、気をつけてね」と言って祖母は見送ってくれた。

そのあとなんか船、というかボートで川をくだって、滝に呑まれて、飛んだ。

 

目が覚めた。びっくりした。普通だった。

 

 

その後、数日間、凍った川だか湖の夢をよく見た。表面が凍っているから渡れるのでは、と思い何度も渡ろうとするのだが、毎回途中で氷が割れて、落ちて目が覚める。結局渡ることはできなかった。

 

そんな状況の時、彼女を見た。

走馬灯の中でも凍った川の時でもなくて、彼女は遠くに立っていた。名前を呼んだ、気がするけど、よく覚えていない。彼女はこちらを見ていた。表情は覚えていないけど、こちらを見ていてくれた。

 

 

亡くなって4年経つのに、1度しか会えなかった。切ない気もする。

会えたといっても、私が勝手に夢に見ただけだから、会えたわけではないんだけどね。

 

 

4年。私は今年で27歳だ。

高1の体育祭で、障害物競走だか健康診断走だかわかんない競技で一緒だった。「破茶滅茶に足が速そうな娘だ……」と思ったのを覚えている。実際篦棒に速かった。笑

高3で同じクラスになった。私は高2の初夏に自殺を図り、高3の5月に希死念慮に耐えられず 閉鎖病棟に入院をキメるような女だったので、ほとんどクラスの子たちと話したことはなかった。彼女が学校を休みがちだということも知らなかった。

クラスに馴染めた(馴染めてはいなかったのかもしれないが)のは7月過ぎてからだと思う。でも彼女も私もお互い休みがちだから本当に話したことがなかった。

何かのきっかけ、朝礼?討論会?なんだったかな、とりあえず廊下に並んで移動の時に声をかけられて、そこで存在を知ったと思う。あ!高1の時に見た、足が速い子だ!みたいな。

 

はっきりいって、在学中は接点ほとんどなかったんだよね。こちらはSSHと部活は軽音、美術と物理選択で、彼女は部活はサッカーで書道と生物選択だったし。

でも、彼女は私を覚えていてくれたし、私も彼女を覚えていた。卒業後は何度か遊びに出かけることもあった。楽しかったし、嬉しかった。

私は、あなたと同じクラスで卒業できて、あなたと友だちになることができて、あなたと話すことができて、嬉しかった。とても嬉しかったよ。

 

なんで、と思ってしまうことはある。

あなたが選んだ道なのに、あなたが手繰り寄せた最期なのに、納得できない自分がいる。

私も何度も何度も自殺を図っているから、他人にどうこう言える話では無いんだけど。

 

それでも『なんで貴女が』と思ってしまう。申し訳ない。なんで、なんで貴女じゃなければいけなかったのか、何故なのか、何故あなたのような笑顔が素敵で、努力を惜しまない、他人の気持ちを理解しようと頑張って、綺麗なものや美しいものに心を動かされ、他人を思って泣けるような人間が、他人に傷付けられて自らの命を終わらせなければならなかったのか。悲しい。本当に、悲しい。とてつもなく、私は悲しい。

 

本当に、其方では笑顔でいてほしい。穏やかに過ごしていてほしい。他人に傷付けられていないで欲しい。自分を責めないでほしい。綺麗なものに、優しいものに、大好きなものに 囲まれていてほしい。

 

ゆっくり休んでね。いつか会えたら、私の人生のいろんな理不尽を話すから、笑い飛ばしてね。だから、今は、ゆっくり休んでね。

また、いつか。

 

 

 

おわり